土曜日, 7月 31, 2010

梅雨明けの本栖湖・・・・・本栖湖ウィンドサーフィン編

17日午後2時半から-19日朝8時まで滞在。

梅雨明けて、とても、爽快な3日間を堪能した。

ウィンドサーフィンは17日午後と18日午後。どちらも吹いて満足。

本栖湖の湖面はウィンドサーフィンのセイルだらけ。

両日ともキャンプは例年通りもりあがる。

本栖湖キャンプ場は18日よりも17日のほうが混んでいた。最終日の渋滞を嫌って、早めに皆帰ったのだろう。19日の朝帰りは、渋滞もなく、東名をつかって2時間半で帰れた。

梅雨明けの本栖湖・・・・・手打ちそば

彫刻の森美術館を出て、もう12時半だ。本栖湖へいそがなきゃ。でもそのまえに、とりあえず、昼飯。
地図で見ると、車で強羅の駅の脇を抜けて、138号(箱根裏街道)へ接続する道があるようだ。どうも道が細そうでくねくねして心配だが・・・・。

このルートをチョイス。

強羅駅辺り、なんだか風情漂う観光地だ。電車で来てもいいところなのかもいいかもしれない。
駅の脇を抜けたところで、左手に「純手打そば喜楽荘」という店をみつける。駐車場も入りやすい。
店の構えもしっかりしている。

箱根でそばもいい。

入ってみると、結構混んでいる。一人だったのですぐすわれた。
メニューを開くと、箱根御膳というそばやてんぷらなど様々な料理ののった贅沢な食べ物が目に映る。
だが、ダイエット中の私にはてんぷらは天敵。

わき腹をつまんでみる・・・・。脂肪が厚くなってきているような気がする。

未練はない。

「せいろそばをお願いします」

1260円もするのだから、どんなそばがでてくるのだろうと期待。

まずは薬味。わさびは自分ですりおろす。弧を描くようにするそうだ。

香りがいい。

続いて、そばがでてきた。

おいしい。風味もいい。

頂いて最後はそば湯で締め。

お茶を飲んで・・・・お!もう一時前だ。


あわてて店を出る。
138へのルートは心配したほどのことはなく、無事御殿場へ。
でも、ここからが混んでいる。東側の迂回ルートをとって、ようやく富士五湖道路へ。

すいていた。高速道路無料化の影響がどうでるのか心配していたが、すいすい。かねてからちょっと高い道路だと思っていたので、無料化されて爽快。

そこからは、恙無く本栖湖へ到着した。

月曜日, 7月 26, 2010

梅雨明けの本栖湖・・・・・・箱根彫刻の森編

突然の梅雨明け!。

突然のごとく夏の日差し。
17-19日の三連休。例年通りの本栖湖でキャンプ。

土曜朝。東名はしっかり渋滞しているので、西湘バイパスへ。7時ころ出発したら、例によって、湘南大橋から花水大橋まで渋滞。
西湘バイパスをこえ、箱根へでたのは9時過ぎくらいか・・・・。

さらに進んで思わぬハプニング。道を間違えた!!!。

いつもと景色が違う。彫刻の森美術館の看板がみえた。あれ?こんなのあったっけ?

彫刻の森美術館で、方向転換しようかなと駐車場に入ったら、わきに警備員がよってきて駐車場代は500円だという。いや方向転換だけですといえずに、そのまま払ってしまった。
せっかく、駐車代金をはらったのだからと、美術館のチケット売り場に。・・・1600円。・・・・しっかりした値段だ。ウィンドサーフィンも気になるからちょっと見てでようというにはもったいないかなあと思いながらも、結局入ってみる。

まあ、どうせ本栖湖の風が吹くのは午後二時くらいだろう。

二つの建物の間の長いエスカレーターを降りる。二つの建物の間は、スリット上の緊張した空間となっていて、その先には深い緑が見える。

エスカレーターを降りて、トンネルのような抑圧された空間を抜けると、そこには、天空とおだやかなアンジュレーションを持った丘と、遠くに山々を臨む広場に出る。

天気も晴れて爽快だ。


右手に、ヘンリームーアの看板を掲げた建物がある。

好きな彫刻家だ。実は、「ファミリー・グループ」の写真は、自分の部屋にも飾ってある。

中に入ってみると、ヘンリームーアの彫刻や経歴などが展示してある。おお!「ファミリー・グループ」もあるじゃないか!。ヘンリームーアの生涯を10分ほどで解説してくれるビデオもある。ふーん。彼は自然の中のもの、たとえば貝殻や枯れ木をアトリエに持ち帰って形造りの参考にしていたという。自然の形、横たわる姿勢、穴や隙間が彫刻に与える緊張感・・・・に魅かれたらしい。わかったようなわからないようなこともあるが、結構発見がある。


その建物を出ると、太陽はいよいよさんさんと輝いている。美しい芝の上に、深い緑の山肌に、あるいは陽光のきらめく空中に、さまざまな彫刻がある。


おもしろい。とても楽しい。みんないきいきとしているではないか!


場内はもりらくさん。子供が遊べるものもある。温泉で足を温める施設もある。いちばん奥の建物にはピカソの展示物。
池があり、鯉がおよぎ水面がゆらめく。その中に投げ出された彫刻・・・。階段あり、坂道ありで結構立体感のある散策コースだ。


11:30から30分程度の美術館の人が、彫刻の森ツアーと称して案内してくれたので、聞いてみた。


以下その講話。

彫刻は、その昔、権力者や資産家が自分の力を世間に誇示するために作っていたものらしい。要するに権力や富の象徴。だが、やがてその地位は絵画にとって代わられる。絵画は、より手軽に生産できたため、量産され、多くの人に親しみやすい自己顕示欲の表現の機会となった。これにより、権力や富を誇示する役割としての彫刻は衰退していったという。 
19世紀になって、再び彫刻を美術の表舞台に引っ張り出したのが、オーギュスト・ロダンロダンの「考える人」という作品は有名だ。ロダンはそれまでの彫刻になかった二つの意味を彫刻に与えた。まず、人間の内面を表現したこと。そして、彫刻に深い陰影を与えて光と影の効果を与えたこと。これらの効果により、写実的表現では外観しか表現できなかった内面を表現することに成功したらしい。
確かに、ロダンの「考える人」 を見ると、「あ、この人何思いあぐねているんだろう?」と思う。人間の内面を表現しているとはこのことか。そして、確かに、なんだかごつごつしている。現実にはこんなにごつごつした人はいないのだが、そのごつごつ感から影が生じ、深い物思いを感じさせているのは間違いない。
彫刻にとっては、新しい表現形態。新しい社会的意義を持つ可能性がでたわけだ。面白いことに、これをきっかけに、彫刻家になりたいという人が多くでてきたという。そして、彫刻界は再度日の目をあびる。ロダンは、彫刻界に新しい息吹を与えたというわけだ。
彫刻の森には、ロダンの「バルザック像」がある。ブロンズ像は複製が作られるらしい。ここのバルザック像は正規の手続きを経て複製されたものだ。つまり、世界にはいくつかのバルザック像があり、ここにはその本物のなかのひとつがある。

だから、入館料は決して高くないのだと案内員は言っている。確かに、本物を拝めるのだから、決して入館料は高くない・・・・。

続いて、ヘンリームーアの「横たわる像、アーチ状の足」の像の前に行く。ここでは、抽象化という話をしていた。形を一度抽象化して、製作者の意図をより明快に表現するということだ。ロダンの場合、像に深い彫り込みを与えてでる光と影の効果によって、人間の内面も表現した。これも一種の抽象化だ。ヘンリームーアの場合、自然界の形をアトリエに持ち込んでそれを熱心に研究して形を作っていったという。人の彫刻を作る時、人そのものの形を写実的に正確に表現するのではなく、一度、自然界の中の形に置き換えて単純化・抽象化している。その形と穴や隙間あるいは彫りのもつ緊張感で、表現しようとする。

案内人はブロンズ像の複製の見分け方を教えてくれた。ブロンズ像は、鋳型にブロンズを流し込んで作るために、複数の像を作ることができる。ブロンズ像の一角にかならず作者のサインがあり、そのあとに2/6のような数字をみつけることができる。これは、作成時に6体作られたものの2体目という意味だそうだ。また、その下にどこの鋳造所で作られたか、その場所を記銘しているという。
その次には、伊藤隆道氏の16本の回転する曲がった棒という作品のところにいく。案内人の話によると、作者の作品への思いは、見る人の心が世俗の悩みから解放されることを望んだものだという。
工業の発達とともに、新しい材料ができてきた。古くから伝わる彫刻の材料ではできなかった表現を、新しい材料でできるようになった。この作品は、そんな新しい表現の例。ステンレスは、彫刻界においては、その加工性と質感から、革命的な材料であったらしい。

最後はジュリアーノ・ヴァンジの「偉大なる物語」。彫刻の森美術館のために作られたものだという。場所も決められて注文されたそうだ。白く美しく柔らかい面をもっている。だれもが、きれいでいいなと思うだろう。順路に従ってその作品に近づくと、まず、作品の横側にたどりつく。そこには、だんだん細くなる洞窟状の形状が表現されている。その入り口には樫の木が生い茂っている。樫は若い時の可能性と生命感を表しており、次第に、せまくなる洞窟は人生をあらわしているという。さらに順路の道を進むと作品の正面にでる。その壁面には女が風のように現れ、そして男が悩ましげな表情で中央でうずくまっている。そして、さらに歩いて行くと、作品の別の端にでて、そこにはりりしい男が一歩一歩を歩んでいるというものだ。
案内人の話によるとヴァンジが表現したかったのは、現在の男の人生ということらしい。若き日にさまざまな可能性を与えられるが、狭き門をくぐりぬけねばならない。その過程で男は思い悩むものであり、様々な女性がそのわきを去来する。だが、最終的には、社会のさまざまな重荷を背負ってりりしく社会をひっぱっていくものである。そういうことを表現したかったらしい。
案内人はこの話をしても、女性にはあまりわかってくれないといっていた。一生懸命、自分が言ったわけではなく、ヴァンジの言ったことだと説明していた。


ま、彫刻の表現は多様で面白いということなのだろう。


屋外で彫刻を見るというのがこんなに面白いとは思わなかった。いきいきしている。
美術館の中で展示されているものも、もちろんいい。でも、以下のヘンリームーアの言葉にも共感することしかりだ。


「・・・・ひとたび野外に出て陽を浴び、雨に打たれ、雲の移り行きを感ずるときには、彫刻も生活のいちぶであるということがよくわかる・・・・」

なるほどと思う。

以下彫刻の森へのリンク











土曜日, 7月 03, 2010

今年は良くふるな~

梅雨だから・・・。今日も雨だ。

夕方から吹きそうな予報もあったが、どうもしょぼくれた雨と落ち着かない風・・・。今日はウィンドサーフィンはやめとこうかな?

ここのところ仕事の方が忙しくて疲れもたまっているしなあ・・・・。

本栖湖の方もしっかり梅雨。うーん。ウィンドサーフィンtodayを見てみると・・・
http://motosuko.com/wind/pg66.html
梅雨時はばっちり晴れるなら吹くようだが、中途半端に曇っていると雷雨が怖い。


寺前の自転車保管所から自転車預かりのはがきをもらっていたので、自転車を引き取りにくことにした。行ってみると、1月以上雨ざらしになってすっかり錆びついている。放置自転車の保管料として1500円を支払う。なくなった時にすぐに警察に盗難届をだしておけばよかったらしい。

そのあと図書館へ。調べ物するつもりが、いつのまにか寝てしまった。疲労が蓄積しているらしい。
そのあと、いつものスポーツクラブのプールへ。


道をあるけば、草木はうれしそうだ。

恵みの雨なのだろう。

深い緑が日に日にたくましくなっていく。


あじさいもきれいだ。

何気に触れると、ポヨーンポヨーンと手鞠のように跳ねる。


深い緑とあわい色のあじさい。小雨に煙る空気の中で・・・・・美しい・・・。


金曜日, 7月 02, 2010

奥多摩の日原鍾乳洞

奥多摩の 日原鍾乳洞に行ってきた。

秘境といっていいだろう。

奥多摩駅のすぐ先を右折して、延々登るのだけど、見通しの効かないくらい曲がりくねり、すれ違う幅もないほどの道路を通ることになる。当然、幅員の広い所で待って、相手を通してから通るような運転のマナーを守らないと、ごっつんこでニッチもサッチもいかなくなる。

上のほうにいくと、日曜だったからか、誘導員が待機してくれていて、スムーズに流すようにしていた。確かに、これだけの秘境だというのに、結構な人だ。誘導員がいなければ、大変なことになるだろう。


ようやく日原鍾乳洞に着く。600円。

でも、その価値は十分ある。


結構、衝撃的。

まるでインディ・ジョーンズのよう。

洞穴をおりていく。

冷たい風がひやり。寒いくらいだ。年中11度だそうだ。だから、夏は涼しく感じるが、冬は暖かく感じるという。

最初は狭い洞窟だ。上からまるで船底のような岩が垂れているところもある。深海にいる気分だ。

弘法大師の学問所と言われる処には、深い静けさの奥から、かすかな美しい音が響く。

水琴窟。おそらく水が何か共鳴するものにおちる音なのだろう。高い音だ。風鈴のような、鐘のような・・・・静寂の中に幽かに響き渡る幽玄さ。

確かに哲学をしたくなるような、空間だ。


続いて三途の川と名づけられた空間へ・・・・神秘的だと思いながらそこを抜けると、突然大空間に出る。

これがまた、衝撃的。

縁結びの神も祀られている。

帰り道は、長い長い階段を登ってそしておりた。そこには、石柱や石筍、つららのように伸びる鍾乳石が美しく広がる。鍾乳石は1cm伸びるのに100年かかるという。何万年何億年の地球の造形がここにあるわけだ。


やはり、神秘的だ。

やがて、出口へ。

熱い風に触れ、現実の世界に引き戻されたことを知る。


洞窟をでて、さらに山側に登ると、梵天岩が見える。地球の造形力に感心する。


奥多摩の山の風景は、とても興味深い。起伏がはげしく、様々な風景がある。


また来てみたいと思う。